草 木

cabbage batterfly から守れ

今年の夏は、そして初秋になっても連日、猛暑が記録的に続いた。                     気象台の発表によると、30年に1度の異常気象である。

適期が来ても、秋野菜の播種、苗の植え付けが暑さで、中々出来る日がなかった。今年の秋野菜、果実の出来はどうなるのだろうか。

8月上旬、漸く待望の強い夕立が有った。                                此れも猛暑の影響か、其れとも我が家だけか、白菜、キャベツの苗の生育が悪く、不揃いな、弱弱しい苗になった。                                                      此の白菜を2度に分けて移植する。苗の種類は豊秋80日。

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8/30、先ず育苗の半分の24ポット、3日措いて、更に24ポットを移植する。暑さに依る失敗を避けての事だ。 写真の白い防虫ネットの方は先に植えた白菜で何んとか育って居り、黒の遮光ネットは後に移植した物で3~4日此の侭で様子を見る。結果は、後半の方で5本根附きの悪く萎れた物が出た。分けたのが失敗で、心配が逆にでた。

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キャベツの苗も生育不揃いだが、何んとあか,余程の時期外れにならない内に移植したいと焦った。店頭には大きく育った苗が並んでいる                                                                 我が家の作る種類はF1サラダキャベツ、F1キャベツの2種類。

9/1,聖護院大根を播く。翌日は支那青大根、更に青首大根、総太り大根等を播き、遮光ネットをする。                                                    

播種4日後から、写真のように、聖護院を始めに、ぼつ、ぼつと、全てが発芽して出そろい、ネットを外し、害虫予防にオルトランを根の周りに撒く。 

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                                                         昨年は、害虫にやられ、収穫が殆ど皆無で痛い目に会ったので、今年は何とか良いものを作りたい。

その後、キャベツも漸く移植し、防虫ネットを掛け、大きな作業も終わりホットする。

玉葱(泉州黄玉葱、F1交配貯蔵玉葱)、ネギ(松本一本葱、下仁田葱)、野沢菜の播種を終えたのは、9/20であった。        

Img_0783                        ホースの前は野沢菜、ネット内はキャベツ

     

野菜の殺虫剤のチラシに依ると、アブラムシ、コナジラミ、アサミウマ,アオムシ、ハモグリバエ、ヨトウムシ等とあるが、私は無学にもアオムシ、ヨトウムシしか知らなかった。

ョトウムシは英名ではThe Cabbage Army Worm と言い、またの名を、苗の根を食いちぎるので,根切り虫Cut Wormともいわれる。

朝、大きく育った苗が無残にも食い千切られたのを見る残念さは作って居る者でないと判らない。その無念さをArmyと表している。                                                                         

諸説あるが、4~5月と7~10月の2回発生するらしい。数種類のヨトウ蛾の幼虫の総称で、夜盗虫とも書かれる如く、夜活躍し農作物、特にキャベツの害虫として有名である。幼虫の写真は余りグロテスクで紹介するのは止めた。

アオムシはモンシロチョウ、キチョウ、ある種の蛾、等の緑色の幼虫である。所謂毛虫のような長い毛で、体は覆われて居ないのが特徴である。                                  

特にモンシロチョウは英名でCabbage Butterflyとも言われるように、キャベツの大敵で、朝から群れをなし、キャベツ畑の上を乱舞している。                            

昨年、ネットの僅かの隙間から入ったのか、一ネット全滅したこともあった。

此の時期の大きな悩みが一つ無くなった。アメリカシロヒトリが私の所だけか、今年も一回も発生なし。長い竹先に油布に火を点け高い胡桃、柿の頂上に巣くった虫の退治は大変なもので重労働である。それが一昨年から全く出ない。夏の苦労が一つ減って本当に助かる。  巣の網に触ると糸を引いて一斉に落ちるからか、英名ではFall Web Wormとも呼ばれるらしい。

ニンニクを始めて植えたが10日程経っても発芽しない。聞いたら植え時は10月で、早過ぎて腐敗したらしい。時期を知らない素人百姓の悲しさである。

春、苦瓜を3本も植えた。良く育ったが、2~3回食べたきり、貰い手もないので、他の作物の日陰になるので未だ早いが抜き取る。余り食べない事が判って居ても、毎年作っている。

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シオン(紫苑)が満開に咲いている。植えただけで手入れもしてやらないが、毎年背丈ほどに伸びて、コスモスともに、秋の風情をいち早く感じさせて呉れる。                    キンモクサイが微かに匂っている。未だ蕾みだが、咲き出したら本格的な秋だ。                    

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紫苑の話だが、最古の説話文学の今昔物語に書かれていると知り調べる。 第三十一巻、第二十七番目に、「兄弟二人、殖萱草紫苑語(クワンザウトシオニトヲウエタルコト)」と有った。                                                      菅草とはワスレナグサのこと。同じ読みでも甘草とは違う。                    紫苑は中国原産だが、既に此の平安末期時代、物語になるほど、身近の草だったのだ。

梅、杏の徒長枝、庭木の剪定、土手の生い茂った笹の刈り取り等、作業が多すぎて休む余裕も無い。

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農園の周囲の藪が消える

  • 前にもブログで紹介したが、我が家の隣地は畑地を数十年間放置し、クヌギ、藤、ヌルデ、その他雑木、そして笹が生い茂り茂り、ジャングルとなっていた。                                                                           タヌキ、ハクビシンの棲みかともなり、私が畑を耕して、播種した所を踏み荒らしたり、さてはモロコシを明日収穫しようと期待した翌日、すっかり、根元から押し倒し、実を全部食い荒らす始末、モロコシの栽培は此処数年間作って居ない。                                             秋ともなれば、落葉が北風に、庭、屋根そして樋に所構わず吹き溜まる。            

  • 遂に周辺の声に、地主は2月、業者に依頼、ジャングルを伐採、整地した。 ささやかな農園の隣地は、すっかり昔の風景に戻った。                                                    

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  境界に我が家の3本のブナが有る。ついでに切り倒してもらう。                此れもブログで紹介したが、シイタケの初めての収穫に感激した事をおもいだす 再度、挑戦。ブナの原木も多いこともあり、今回はシイタケ、他にナメコ、クリタケも作ることにした。                                

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                                                                                                                                  原木の作り方の概略は手引き書に従って行うことにした。                             先ず切り倒して1~2月間放置し(枝干し)、次いで1m位の長さに切り(玉切り)、接種し(千鳥植え)て、横積み(仮伏せ)に暫くする。                                                                                                                                                                         

更に1月ほど枝干しを経てから、(本伏せ)を行う。本伏せは其々のキノコに依り方法が異なる。         シイタケは良く知られて居る(合掌伏せ)、他に(よろい伏せ)、(井桁伏せ)などがある。                                                                                                                       ナメコは直接地面に並べる。    クリタケは土壌に浅くうめる。                  実際には手引き書どうり、手際良く上手くは全然行かなかった。                                            

ナメコの学名は、二名法で(Pholiota nameko S,Ito et Imai) である。属名(genus)のPholiotaとはギリシャ語で ”うろこ” を意味し、続く種小名のnamekoは和名の滑子(ナメコ)から付けられたものである。命名時、此のキノコの産地は唯一、日本だけだったらしい。命名者も勿論日本人である。                                                      

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シイタケは学名を(Lentinus edodes Sing)と言い、Lentinusとはラテン語で”柔軟、強靭”の意で、edodesとは”江戸”の事を指し、シイタケの産地日本を表している。              シイタケは朝鮮、中国などにも広く分布しているらしいが、日本産に命名されたらしい。                                              

此の春,(ザートウィッケン)が土手に群落を為して大発生した。                    私が小学生頃、親父が牛の肥糧の一助にと、栽培した牧草の子孫である。親父の言によると、其の牧草はドイツより輸入されたザートウィッケンと言う名であった。                      

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    其れから、数十年経った今、私は、ささやかに農園を継いでいる。土手に此の草が、数本咲いているのを懐かしく思い出したのは、未だ最近数年の事である。                  周辺で見たことも無かったので、他所には無い我が家だけの親父の遺産、大切にしなければと思い、そして此の名も忘れないようにして来た。                         

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     ある時、”牧場には有り触れた当たり前の草である”、と知らされ、早速I,T,で調べた。   其れによると、ソラマメ属に属して、和名も(オオヤハズエンドウ)とあった。そして、最近の 高島、傍島、村上共著の図鑑を早速調べた。コモンベッチ(common vetch)と言う名で出ていて、”地中海原産で、大正初期にドイツより導入された”とあった。早くから日本にあったのだ。                                                      今まで、全然知らなかったのだ。本当に驚いた。然も何んと大正時代より栽培されていて、ごく牧場には有り触れた草だったのだ。                                        村越、牧野の両図鑑に此のドイツ名が載っていなかったので、当時日本には存在しない物と思い込んでいたのだ。 私の勉強不足であった。                                       ザ-トウィッケンの学名は(Vicia sativa Linn)である。Viciaは”巻き付く”と言う語で、蔓性の植物を意味し、sativaは、稲の種小名も同じだが、“栽培する”を意味し、育種されて来たものらしい。  何れにしても他人には、全然興味の無い草かもしれない。が、私には思い出の多い、懐かしい草である事に変わりない。

       

                      

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家庭菜園は難しい

夏の作物の時期が終わって大分経った。毎年同じ事をやりながら農作業の失敗を繰り返す。 

大根を播いたが、芽生えでとび虫(黒い小さな昆虫)に葉を食われ、大分萎れてしまった。昨年ま Img_0707_2 で同じ様に播種したがこんな失敗が無かった。農業の難しさを思い知らされる。                

種を播き直し、同時に殺虫剤も一緒に撒いた。大分遅れてしまったが、秋雨が適当にあり何とかなりそうだ。世間より生育が遅れるだろうが仕方がない。

野沢菜、ほうれん草、小松菜、チンゲンサイ、と播く。水菜はより遅れて播いた。      

因みにこれ等の種は皆外国産である。ほうれん草はデンマーク、小松菜、ちんげん菜はイタリアである。野菜の種も日本では交雑して作れないのかも知れない。            .     野沢菜は元は大阪の天王寺蕪で其の変種である。   

苦瓜、いんげんは未だ枯れたまま棚に何時までもぶら下がっていた。

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平核無柿が立派に大きく実った。

昨年は早めに未熟の内に取り、固い干し柿にしてしまい失敗した。今年は良い物を作ろうと大いに期待して居た。        其れなのに、未だ9月末と言うのに多くが熟んで熟柿に為ってしまい、干し柿作りは夢と消えたた。               

平年は11月頃に収穫する。こんなに早く熟したのは、全くの驚きで何か原因でこうなったのか判らずがっかりした。近所を見ても同じ様である。Img_0704                         

然し、他所では正常の柿が実って居る所が多い。

花芽の時に消毒しないと熟柿になる。」と言う人が居た。

専門農家以外で、消毒しているとは余り聞いていないが。

   Img_0703_4               胡桃は開花時に消毒しないと未熟で多く落ちることは良く知っている。我が家の胡桃の木が高いので消毒したことが無く、殆んど多くは未熟で落果している。

柿の木もかなり高いので今迄消毒したことも無かったが、こんな異常な現象は経験した事も無かった。

住宅の狭間で環境の変化、例えば風通しが悪くなるなどの原因も有るのでないか。来年はどうなる事やら。

尚、柿に就いては(我が家の柿の干し柿)の題で昨年の 10月のBlogに詳細した。

時、偶々地方気象台の発表があった。其れによると、9月の降水量は平年比26・0%の  37・5ミリで平年の半分以下、日照時間は平年を上回り「少雨多照」だった。こんな事も影響しているのだろうか。

雑キノコの発生に至ってはゼロに近いほどで、マツタケも殆んど駄目らしい。

人力の及ばい自然現象もあるのだ。我が家の柿も多少影響が有るかもしれない。 

                                                            昨年、根性大根など根性野菜がテレビなどに良く見られた。春キュウリの後のキュウリにとBlog 種を苗床に播いた。其の時に落ちた種だろう。庭の芝の中に芽生えした。移植も出来ず水を与え放って置いた。が、2本大きなのキュウリがなった。

悪い環境の中でもよく頑張った。根性キュウリなのだ

                               

                           畑の南側に高い電柱がある。畑の前の2軒だけの配電の為のものである。

 2軒の後に大分 遅れて5~6軒建てられて、其の5~6軒の為に別に電柱が立てられて居た。

今度それらの宅地の入り口に新しい電柱が Img_0700_3立ち、 今迄の2本の電柱が統合され、我が家の畑に建ってる電柱は不用になった。

高い電柱はカラスの止まり木になり、苗を抜かれたり胡桃を持って行かれたりの被害があったが、今後は少しは無くなると思う。

10/6、電力会社より電線は外された。天候如何に関わらず実施の予定だったので、心配していた台風も前の日に大荒れ、当日は晴れて順調に作業は行われた。

10/28 NTTの電線も撤去された。

                                       

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電柱其の物は作業車の畑に入ることの出来る作物の無くなった11月中旬以降になりそうだ。兎に角、長期間だった電柱のある風景ともお別れである。

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我が家に大きなキンモクセイがある。9月頃より仄かに甘い匂い始め10月中旬頃まで続く。私は此の匂いが好きだ。秋になったんだなと深く感ずる。                              

日本では殆んど好んで、芳香を放つ雄樹だけが植えられて来たらしい。キンモクセイは雌雄異株とは今迄全く知らなかった。従って繁殖は勿論挿し木である。

然し此の匂いを苦痛に感じ、秋を嘆く人も大勢居る。花粉症の人たちである。

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世界にはキンモクセイの仲間が15種類ほど有るらしい。

日本のキンモクセイは中国原産で橙黄色の花で強い芳香を放つ。

病害虫は殆んど無く生長の早い手の掛からない丈夫な木だが、排気ガスには至って弱いらしく都会では開花しない事もあるらしい。

日本には他にウスギモクセイ、ギンモクセイの2種類が有るらしいが、数は少なく余り見かけない。

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天候に左右される家庭園芸

玉ねぎの収穫は例年の半分程だった。

苗は良い出来で,寒い季節なのでクヌギの落ち葉など掛けて凍りつかないようにした。

然し気が付いたら、所処、生育不良で枯れたり、消えて空所になっていた。カラスが毎日来

ていたので、悪戯されて抜かれたのでは、と思った事もあったが、今年は出来が悪いと幾人

から聞いた。天候の所為かもしれない。

馬鈴薯の収穫も悪い。例年の如く男爵2k、秋茜3kを購入、大きめの物は2つ切り、植え付

けした。

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然し3割ほど芽が出ない。何

が悪かったのか、初めての事

で見当が付かない。店頭には

最早此の時期種芋があるわけ

が無い。仕方なく昨年、収穫し

た物を播く。それでも何となく

大きく育って来た。

が、何時の間にか1枚、2枚と

茶褐色に葉が萎れだした。

ト病( 露菌病)〔domny mildew]と気が付いて消毒した時は既に遅く、壊滅状態になっていたた。

ベト病は高温多湿の年に多いと言われているが、早めに予防しとけばよかったが、後の祭り

だ。やはり幾人の家でもベト病にやられたと聞かされた。我が家だけでなかったのか、何と

なくホッとした。やはり天候が大きな原因だ。素人百姓の力では自然に任せた農業しか出来

ない。それにあらずかスーパーでの価格は例年より高いらしい。

Img_0678 県の気象台は7/14梅雨明け

を発表していたが、新たに今

年は低気圧、前線の影響で曇

りや雨の日が多く、`09.8.4

以来6年ぶりの日照不足との

情報も7/28日出した。農作物

の管理に注意するようにとの

事だが、実際のところ、如何仕

様もできないのが素人百姓、

家庭園芸だ。

Img_0685_2

青果卸業者によると夏場のキ

ュウリの主産地の東北地方の

出来が悪く卸値は昨年比1.5

倍だそうだ.

例年、当地方は夏場は雨が少

なく、然も台地上の我が家の

畑地では、此の時期、朝夕の

潅水作業の多忙、そして経費

の多額に音をあげていた。

今年はホースを出したまま1度

も使ってない。例年と同じ位の畝幅、株間を空けて置いたが、キュウリ、トマト、特に丸ナス

の特大の成長に雨の有り難さを感じた。これ等の野菜は例年より格段収穫が多い。多雨

が良い方に出たのだ。

Img_0686 時期を2週間ばかり、ずらして

インゲン(モロッコ)を2箇所に

播いた。伸びるに伸びて、収

穫するには高さ1間の3脚を使

わなければならない。例年だと

I形の支柱で充分なのに今年

は違った。優に3~4m以上は

伸びた。新しい竹で撓っても折

れないだろうが、急いで支え棒

を買ってきた。片側が日陰になり、良くないとI形にしたが、来年は倒れないようにX形にしな

ばと思う、今年の様に多雨ならば?。

例年なら此の辺りでは7月、少し間置いて、8月と2度(2化生)に亘りアンズ、柿、胡桃の葉に

繁殖して退治に苦労するところであるが、昨年はアメリカシロヒトリ〔Hyphantria cunea] を

全く見掛けなかった。退治する苦労無く楽だった。今年も1化生は全く無し。2化生の無い事

を祈るのだが、此れも天候等のためか、全く不思議の現象としか思えない。此の侭、ずーと

発生しないで欲しいものだ。世間でも関心が無くなってきているが、他地方では依然猛威を

奮って居るらしい。

竹林が有るので、支え棒などには竹を多く使ってきた。Img_0687

 サトイモこそは、水が絶対必

要な作物で、作らない事にして

来た。所が余ったから植えろ、

と呉れる人が居て畑の端の方

に仕方なく移植した。そして此

の雨、予想も出来ないほどに

大きく育った。収穫が楽しみ

だ。来年も雨が多ければ作り

たいのだが。

Img_0688

良い事ばかりでない。雑草

生い茂り、の繁茂には全く

参った。草刈機も有るのだが

腰痛で使えず、除草剤は亡父

が体に良くないからと全く撒か

なかった。ので何となく使用し

たくない気持ちで、未だ使った

事は無い。ぼつぼつ除草して

行くしかない。Img_0682

Img_0684 畑の隅にオニユリが咲いて

いる。オニユリとは粗大と言う

意らしい。紫を帯びた褐色の

花に心が和む。

 百合の花恐れ入った

        という姿

 あちら向けうしろも

    ゆかし百合の花

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梅とウグイス

1月下旬各地で梅の便りが聞かれるようになった.今年は 温暖化の影響か,やや例年より早いらしい. この時分は我が家でも小梅(信濃小梅と思われる)が咲き始めた.

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我が家には、小梅より後から植えた野梅性の白い花の白加賀、アンズとの交雑種と言われている赤花の名前は判らないが豊後、紀州みなべ町で誕生した赤花の南高梅、各1本がある.これ等はまだまだ此の時点では固い蕾だった.
世間では,梅は全部同じ時期に咲くと思って居るらしい.が小梅以外は小梅より半月程遅れてこの辺りでは咲く.

因みに、「皮が薄く果肉が厚く柔らかい」南高梅は高田貞楠さんなる人が栽培していた梅の1本を育て継いで、名づけ親の勤務していた南部高校に因んで名付けられたという事である.

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みなみべ町は昨年6月4日のブログ「松そして万葉集」の有間皇子が松ヶ枝に詩を結んだ場所でもある.

梅は中国原産で約千五百年前に日本に伝えられたと言われている.中国からは,青梅を真っ黒に燻し焼きにした烏梅(うばい)が薬として入って来た.

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原産地、中国には、私の極く貧弱な知識では梅に関した漢詩は見つからない.白居易は長恨歌の中で、春を「春風、桃李 花開く日
と詠み、梅、桜は出ない。兎に角、中国では梅は余り馴染みが無い様である

日本では万葉集にも百以上の詩、天神様の飛梅のような伝説、数々の名梅花園、紋章尾形光琳の名画などと梅に関すること、無限であるPhoto_4

漸く冬の寒さも和らぎ、そこはかとなく香りして、花の素朴で清新さに日本人の心を打つものがあるのだろう.当時の詩は花と言えば、桜と梅だけを指したようである。ただ桜には香が無いと言うことも区別の1つらしい。

桜も梅も共に植物学上ではバラ科サクラ属で親類みたいな物だ。桜に就いても書きたいが、ささやかな農園には桜が無いので中止。
古今集、百人一首に、紀貫之は 「人はいさ心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける」と詠った。桜は香は無いので、当然梅であろう。蛇足だが伊勢大輔は「いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」と詠っていて、八重桜は桜でも香があるのだろうか

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中国と異なり、日本では薬としてで無く、梅干、梅漬け として利用が主流で、鑑賞用なども加えると、品種も実に300種類もあるらしい.我が家では小梅は赤紫蘇の塩漬け、大きい品種の梅は1度薄塩漬けして、種を取ってもう1度漬け直す.此の種取り作業が以外に大変なのだ.

梅干しは更に大変である.プロは機械化で楽に、良好な物を作るだろうが、我が家では、旧態已然、真夏、簾の上に並べて干し、2~3時間毎に日傘をさして、炎天下にひっくり返す大変な作業の産物である.

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ところが、晴天の霹靂の言葉は此の場合、当て嵌まらないかも知れないが、突然、思い懸けずウグイスが帰ってきたのだ。4/10朝早く5時半過ぎ雨戸を開けたら、鳴いている、「きょきょけきょ」、「ほけきょ」、まだまだ下手だが懸命に鳴いている。以来、習性だろう、あっち、こっちと止まることなく、移動しながら、ひねもす、鳴いている。霞み、菜の花咲く中、ウグイスのなき声は春の長閑さを感ずる。
梅(の時期)にはウグイスである。

Photo_9 閑話休題、昔、小学校には給食が無かった.アルミの弁当箱には日の丸弁当と言って、真ん中に梅が必ず入っていたし、遠足の海苔巻きのおむすびの中にも梅があった.懐かしい.梅に含まれているトリテルぺノイドなる難しい名前は知らなくても、昔から人々は抗菌作用を経験で知っていたのだ.

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冬期の農園

冬,特に大寒中は全く、庭も畑も荒涼と言われる言葉の当てはまる寂しい風景である。

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芝生にはクヌギの落ち葉があちこちに吹きだまっている。、

枯れた葉と言うのか茎のみで、芝が青く芽生えするのは未だ未だ幾日も掛かりそうだ。

然し枯れた葉の下には一見しただけでは判らないが掻き分ければ、雑草がびっしり生えている。

暖かい日には草取りを既に始める。

今年も又芝生の雑草との苦労の戦いが待っている。

 畑は未だ来る春を待ち、大寒に耐えている。緑豊かに育っている作物は何も無し。

今年は雪が全然なく、凍みも弱く日陰以外は凍っていない日が多く、畑に貯蔵の大根の掘り出し、そして年末に播種したホウレン草、ネギを取るのも楽だ。

温暖化のせいだろう。果たして之が今年の農作業にどう影響するか?

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春を待ちかねて耐えて居るのが有る。

 秋遅く播いた絹さやエンドウ、北風で凍みないように、藁そしてクヌギの落ち葉を敷いた。枯れる事も無く10cm位に育っている。

もう少し経ったら杭用の竹を切り取って用意しなければ。

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此れも昨秋移植した黄、紫玉ねぎ夫々200本位ずつ移植した。

クヌギの落ち葉を敷いておいたが、風に煽られて場所により、固まったり、無くなったりしている。

春までにどの位元気に育って居るだろうか。

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野沢菜も今は唯、葉を地面に伏して寒さに耐えているように見える

菜の花の咲く頃は桜も咲き穏やかな季節、私は菜の花の黄色、香りが好きである。

 若い頃は家は粗末でも、木々に溢れた庭のある家が夢だった。

 然し、所詮、庶民には矢張り無理な一睡の夢だった。

始は庭師にも来てもらって居た。池には大きな緋鯉も幾匹も泳ぎ、滝、噴水もあり、庭の小道には玉砂利が敷き詰められいた。

然し、台風に排水路が壊されり、何時の間にかポンプが故障して噴水も止まり、玉砂利も梅雨、大雨により砂に埋もれてしまった。

今と成ってははこれ等は目障りであり、雑草の手入れの邪魔になってるだけだ

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此の池に就いては、昨年、4月に投稿した”小さな池の花”で紹介したが今は睡蓮の池に成っている。

 睡蓮、ハスは良く繁茂し盛り上がって居る。これ等の根の間引きなどの手入れ作業も大事な作業だが重労働で大変である。

尚ほ、池に就いては、此のブログに昨年4月に続き、1昨年11月にも(播かぬ種が生える)と2度書いた。特に11月には後半の大部分は”続きを読む”をクリックしないと画面に出ないように成っている。此れを見逃されたのではなかろうか。此の手の手法は今後止める

庭木に、畑の周囲にも松、杉、かえで、その他雑多に沢山植えた。4年ばかり前、体調不調で2~3年、全然手使ずだった為か、木々は伸び放題に伸びてしまった。

Img_0643 ヒマラヤ杉も10数本ある。最初は庭木風に仕立て居たが、先述の2~3年の放置の間に倍近い高さに伸び、すっかり防風林の様になってしまった。 

雌雄同株の常緑高木で学校、公園には亭亭と15~20m位を越す見事なのも見かける。 

此の杉の種名、deodaraは(神の樹)の意で、インドでは神聖なものとされているようだ。

2~3年掛けて、切り詰め何んとかしたい。

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大寒中に、是非やらなくてはいけないのが、梅のボルドー液消毒である。

初夏、潰すと赤く染まるワタムシ、葉を縮らし、実を黒く汚すアブラムシ等。これ等を予防するには絶対欠かす事が出来ない

Img_0646 因みにボルドー(Bordeaux)は葡萄酒で有名な都市の名だが、消毒液に此の種の名が付いて居るのは他に見かけて無い。薄学で由来を知りたい。

なお、ボルドー液は殺菌剤で、硫酸銅と生石灰との混合液である

毎年10倍液にして使用し、木は真っ白になる。

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我が家の干し柿

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我が家には、大人でも幹が一抱え出来ない位の大木の柿が2本ある。優に50~60年以上はあると思うが、兎に角老樹である。種の無い渋柿である。

 柿の名所の岐阜から甘い富有柿と言うことで、購入した苗だが渋が抜けきらない、寒い所の為かもしれないと親父が言っていた記憶がある。今にして思えば子供の頃、「甘かったらなー」と恨めしく思って居た。 

 然し、富有柿は全くの誤解で、後述するが、平核無柿だ。

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我が家にはもう1本、30年位の名前不詳の甘柿があるが、何故か、全く渋い物、渋みの残っている実が混じっている。

聞いた話だが禅寺丸と言う柿は不完全甘柿と言って渋の抜けきらない種類の甘柿があるそうだから我が家のは其の種類か?。そして何故か落花が多い。此れに就いも後述するが。
 

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 百人1首の3番目には、柿本人麻呂と,人名には古くから使われてはいるが、万j葉集には柿の詩は1句も無く、其のため柿は万葉の時代以降に日本に渡来して来た物と思われて来た。
 

然し近年岐阜県瑞浪市の第三紀層から果実の化石が発見され、世界に誇る日本原生の果実と判った。牧野の図鑑に依ると学名にもDiospyros Kaki L,fil, と柿が付いている位だ。
 

大垣市の近郊の揖斐川町は母親の里で幼少時からよく行った。当時は柿に付いて関心は更々無かったが、確か半割りした孟宗竹に詰められた柿羊羹が名物として駅で売られていたと思う。 

  歴史的にも岐阜柿の原産地で有り日本の名産地の一つであるのだ。

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夫婦柿と言われる柿はリンゴ、桃などの様に両性花の種類でもあるが、元々は柿は同じ木に雄花、雌花と分かれて咲く雌雄異花(こんな用語有るかな?)の植物だったらしい

先述の我が家の1本の甘柿は沢山花を付けるが、大変落花が多く、結果が少ない。日陰の為か、肥料不足などの原因かさっぱり判らかなった。今にして思えば雌雄異花で多くの雄花が落花したのだったのかも知れない。

 柿は色々花の付け方も有る物だが 最近は新品種には雌花だけ付く様に改良されて来ているらしい。所謂雌雄異株の雌株だが、雌株だけで結実できるメカニズムは素人で判らない。

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さて先述の老木2本だが、今にして、見れば果実の形から、種(核)の無い事から純然たる平核無(ひらたねなし)柿だと思う。

平核無は新潟県新津市の八珍と呼ばれた中の一つで、明治42年に原熈博士なる人が命名されたと本にある。其の原木は推定年令250年位で現存してるらしい。

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実が大きく、無核で干柿に最適で、我が家でも毎年沢山作ってきた。然し来年からは、沢山は作れないだろう。若しかしたら皆無かも。我が家の秋の風物詩も一つ無くなる。

 
昔は周囲は農地であったが、今や周りは住宅が立ち並んだ。枝は伸びて日陰を作る、葉は舞って行くし、何かと気兼ねしなければいけないようになった。また7m以上の高い所に実った柿を取るのが体力から容易で無くなった

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其れや此れで、残念の気持ちも有ったが、知り合いの若者に頼んで3m以上を切ってもらった。一部分残ってはいるが、一本は殆んど丸坊主になった。来年は殆んど柿が生らないだろう。そして干し柿のすだれも見られなくなる。

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ネギの栽培も難しい

はゆり科である.原産はシベリア・アルタイ地方で別名ひともじ(一文字)ねぶか(根深)そして、古名では、(葱の古名呼び)、と呼ばれたと牧野の図鑑にある.   別の図鑑によると原産は中国西部で、2400年前の古書《山海経(センカイキョウ)》、更に別誌には《水経(スイケイ)》に新疆省の西南、パミール高原一帯の地、山上に葱が自生していると記されている.  日本に朝鮮半島を経て,本草和名(918)に記録があるが10世紀以前に伝来したらしい.  因みにヨーロッパにも1500年頃に伝来したが、好みの違いで普及しなかったらしい.

品種は休眠性、株の大きさ、分けつ性、葉の質により幾つかに分類されている.我が家では、松本一本葱、下仁田葱を栽培してきた.
葱は耐寒性、耐暑性ともに強く冬期の畑の野菜の主体である.園芸本に葱栽培の成功のコツとして幾つか有ったが、其の中の一つに、葱は割合丈夫なため、安易な作り方をする場合が多い.総じて此れが失敗の原因になる.其の二つに太い苗、病気(とくにウイルス病)に罹って居ない苗を使用する.とある。

今まで苗を作り10坪程栽培し.自家用には充分の出来、少しは他人に分けて来た.其れが今年の春は予想もしない事態発生、葱は壊滅と成ってしまった.昨秋蒔いて育ってきた苗が移植を前に黄色みになり、葉先きが萎れて弱ってきた. 其れでもと移植した.松本一本葱はどうやら良いが、下仁田葱は写真の様に根が短く黒くなり全滅してしまった.根腐れ病と言う病気なのか、初めての事で驚くばかりである.

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.葱は排水が良く、酸性土壌を嫌い、根が弱い作物なので其の積もりで心がけてきたが、慣れから失敗したらしい.さび病消毒の為に1年間蓄えてきた蜜柑の皮も今年は不要になった.

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             、   

             9/25現在、下仁田葱は数本、残りはちんげん菜が育っている。

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余談になるが、若い頃、葱、の硫化アリルは脳に良いと言うので、生葱を刻んで毎食、大分長い間食べ続け、慢性胃炎に成ってしまった.医者にも見離された状態だったが、センブりを1年間飲み続け治した苦しい思い出がある.私は胃の弱い人にはセンブりを勧めたい.漢方薬は煎じての使用が多いが、センブりは1,2本を湯飲みに入れ熱湯を注ぐだけで良い.名の如く千振りで1日は使える.カラマツソウも良いと聞いたが市販に無く、山で採るのが大変で止めた.オケラの根茎も良いと聞いて山によく行った.オケラは牧野によると古名ウケラと言い、キク科で根は蒼じゅつ又白じゅつと称して薬用に供せり、また正月の屠蘇散の原料の一つでもある.とある.山地の乾いた林の中の多年草である.カラマソウと違い特徴が無く、低い草で、沢山有る物で無いので山中探すのが大変だった思い出が有る.オケラの若苗はツリガネ二ンジンと共に美味な山菜として昔から親しまれていたらしい. 萬葉集にも (恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」と歌われている

たまねぎ(ようねぎ)はゆり科である.牧野の図鑑によるとペルシァの原産で日本に渡来したのは比較的遅く明治年間とある.別の図鑑に依ると明治13年に北海道で栽培されるようになり、昭和の50年代には生産量は世界第1位のアメリカに次ぐ物であった.

我が家では8月末、苗床には移植の際、余っても良いから多めに播種する.大きく丈夫の苗を選びたいから.  たまねぎは乾燥に弱い.雨が少ない時は、朝亦は夕方散水し、黒い寒冷紗を掛け、地温をあげてやる.苦土石灰を撒いて耕す他は特別の施肥、消毒などはした事など、今年は1度も草取りもしなかった.いや、出来なっかた.ために、写真のように、黄たまねぎは草に埋もれ、掘り出して、収穫した.紫たまねぎに至っては、トマトが群生し、其の影に埋没の状態になってしまった.其れでも、収穫は上出来だった

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.が、今年は9月始め、2度播種したが発芽せず失敗。こんな事も初めて、事前に石灰窒素を撒き過ぎたか、覆土が厚過ぎたか全く原因不明、農業は難しい。9/18,3度目の種を蒔く。種店で見知らぬ人から「今頃良いんですか」と言われ「駄目でしょう」と自棄に答えた。毎年何か失敗がある。果たして結果はどうなるだろうか。

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松、そして萬葉集

     我が家に大きい松が3本ある.子供の幼稚園の遠足に家内が付き添って行った山で、10本ばかり小さい松を取ってきた.、其れに大王松を購入、また友人から貰ったりして増え、成長するにつれ狭い所ではどうにも成らなくなった.1本切り、2本切り、大王も切り、結局3本になってしまった.其れから何10年、見上げる程の大木になった

Img_0573_2  話が変わるが池を作った時、池の上に枝を張った大きい黒松を植えた.

数年後、庭師が寒中に剪定したのが、原因らしく枯れてしまった.そこで、此の跡に14~15年前に先述の3本の内の1本をクレーンを使って庭の真木として移植した。

 更に其の5年位後、玄関前を広げるに当たって、残りの1本を移植した.どちらも弱っていたが漸く最近元気に成ってきた.

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松は手入れの大変掛かるものである.早春の芽すぐり、春みどり摘み、秋から冬に掛けての古葉落し剪定仕立て等がある.何れも農作業の大変忙しい最中と重なる。

Img_0576_3 特にみどりみが最も大事であると私は思う.みどり摘みは早くやると、その後また伸びて、もう1回摘み直さなければ為らなくなり2度手間が掛かる.さらばと遅くすると茎が硬くなり、手では摘めなくなる.摘み終わるには松1本に4~6日も掛かる仕事である.摘み取りの出来ない枝も多く出来る

  松には赤松、黒松、ごようまつ(ひめ小松)、が主で、チョウセンゴヨウ、ハイマツ、園芸品種、外国産のダイオウマツなどがある.

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 仕立てには高砂、三才作り、直幹、門かぶり、なげし、かむろ仕立て等ある.我が家の赤松は、庭師の手が入らず、私の自己流仕立てで、いい加減なものである.従って写真の下の説明文も私が勝手に付けたもので、此の様に仕立てたいとの願望を込めたものでもある.玄関脇の松などは殆んど手入れ無し.直幹仕立てどころか、自然野生仕立てもいいとこである.

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 松は縁起木で飛鳥、奈良、平安の時代より庭木の王様として植えられてきた. 例を挙げればきりが無い、”正月の門松”から始まり生活、歴史、文学その他あらゆる面で日本人は松とは関わりが深いのである.   詩歌、俳句、謡曲、民謡、その他に豊富に歌われている. 

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 わが国で最古の歌集、萬葉集には松の歌が71首ある.中でも最も有名なのが有間皇子(ありまのみこ)の歌であると言われている.  此れを岩波版の日本古典文学大系の萬葉集を参考にして調べた.          第1巻の挽歌の冒頭に 【有間皇子、自傷結松枝歌二首】として、其の一つに【磐白乃 濱松之枝乎 引結 眞幸有者 亦還見武】がある.           判りやすい現代訳によると 【有間皇子、自ら傷みて松ヶ枝を結ぶ歌二首】として、【磐代(いはしろ)の浜松が枝を引き結び、真幸(まさき)くあらばまた還り見む】である.             磐代は和歌山県日高郡岩代村(現、みなべ町、南高梅の原産地としても知られている所である) 、 歌の大意は、「磐代の浜松の枝を今引き結んで幸を祈るのだが、若し命があった時には再び還って此れを見よう.」である.     有間皇子は斉明天皇4年(658)、蘇我赤兄に唆され反逆、捕らえられ、再び、其の松枝を見ることなく11月11日絞首された.時に年19歳であった.  此の詩の後に長忌寸意吉麿(ながのいみきまろ)の”結び松を見て、哀しび咽ぶ歌二首”が有るので、其の中の一首を現代訳詩で参考に記す.【磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも】尚、山上臣憶良も”追ひて和(こた)ふる歌一首”を作り皇子を悼んでいる.

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続 早春の花

           黄梅

 Img_0509blog_5 オウバイ(黄梅)が我が家の入り口の石垣、北東側の一廓が暖かいのか早く満開になった.北向き側はやや遅れている.
植えて、もう大分経っている.手入れといえば、刈り込むぐらいだが、毎年、必ず名前の由来ともなる鮮黄色の梅に似た花を、梅と同時期に咲き早春らしい雰囲気を感じさせてくれる.
ただ此の花は香りが無いのが惜しい.実も生らない.
八重咲もあるらしいが、見たことが無い.

Img_0508_blog_4 黄梅は中国原産で、中国では黄梅で無く迎春花、金腰花などと呼ばれている.
日本には徳川時代に渡来した.ヒイラギ科で仲間にモクセイ(木犀)がある.

      

      

          

      

        (サンシユ)   山菜茰

Img_0511_2 黄梅と前後してサンシュユ(山菜茰)が咲き出していた.
 一つ一つの花は小さく、木全体が淡い薄黄色で目立たないので、開花に気づくのがやや遅れた. 
サンシュユは別名ハルコガネバナ、アキサンゴと呼ばれ、中国、朝鮮に自生している.     グミに似た赤い実を煎じて飲めば強壮、健胃、腰痛に卓効があると、享保年間(約200~250年前、1720年頃)に薬木として入り、後,鑑賞用に転用されてきたらしい.
然し、秋,小鳥達は此の実を食べないようである.何故だろう.図鑑を読むまでは、反対に毒性の実だとばっかり思っていた。

Img_0531_blog 我が家のは、小木で雰囲気は無いが、 早春、サンシュユの大木の枝一面に、かがやく黄金色の花が空間を染める風趣は、気品に富んだ穏やかな春の風情であるに違いない.
 ”枝ながら黄に揺れており谷のしも、遠く眼立つは山采茰の花か” と詩人(鹿児島寿蔵)は歌った.
生垣に良く植えられているアオキはサンシュユと同じミズキ科である.

       イワウチワ(岩団扇)

                                                                                     Img_0537_blog

家の入り口の石の間に、長い花茎の頂に、1個の可憐な淡紅色の花が咲いている.
,一年中,手のひらより大きい光沢の有る葉、枯れた葉が茎から離れないで付いている.
 大分前に知人より貰ったもので、名前もすっかり忘れていた.

Img_0530 若い時は比較的高い山にも登ったし、草の名も覚えたが、昔の話で,すっかり忘れて覚えだせなかった.
 図鑑を調べ、漸く判った.良く知られているイワカガミと同じイワウメ科のイワウチワだ.
 葉の形が団扇に似ているところから付けられた. 
 牧野によると深山に生じとあり、低山帯上部より亜高山帯の植物である.比較的、高山の植物が庭に在るのも珍しいかもしれない.イワサクラの名で市販されていて、白花種、八重咲き種などもあるらしい

       ヒアシンス

 Img_0528_blog 毎年、此の時分になると庭の片隅のウメモドキの下にヒアシンス   が芽を出し紫の花を咲きだす.肥料を余り与えない方が無難と本にはあるが、肥料どころか殆んど手入れをしないので、花数も少なく小さい.そして 6月頃、球根を掘り出し、陰干しし、9月~10月に植え込みをすると有るが、其れもしていない.何時の間にか消え、増えもせず、減りもせず翌年また芽を出す、よくもっている.ヒアシンスの強さに感動する.甘い香りを放つそうだが、無関心でそれも気が付かなかった.

Img_0527_blog ヒアシンス(英名Hyacinth,学名Hyacinthus orientalis L.)は別名”ひあしんと、にしきゆり”とも言われ、ゆり科である.日本には安政年間「1854~1859」に入ってきた.二つの系統が有り、花の小さいローマンヒアシンスと大きいダッチヒアシンスがある.後者を一般的にヒアシンスと呼んでいる.我が家のはどちらだろうか.

      クンシラン(君子蘭) 

Img_0512_3 我が家にも君子蘭が2鉢、鮮黄赤色の花を咲かせている.ヒガンバナ科なので、彼岸花と似ている.水仙も同じ科であり、君子蘭にも白色、黄色種があるそうだ

Img_0513_2  普通,君子蘭と呼ばれているのは、ウケザキクンシランの事で本当の意味での君主蘭ではない.ウケザキクンシュランは(英名Scarret Kafir-Lily)(学名Clivia miniata)で学名のCliviaは19世紀の女流詩人の名から、miniataは”あかくなる”の意である.南アフリカのナタール地方で常緑の宿根草である                                

Img_0539_blog   此れとは別に所謂、本当のクンシュラン(C.nobilis)は花はやや小形で、垂れ下がって咲き、鑑賞的価値が低い.種名の(nobilis高貴な)から君主蘭と呼ばれる事になったらしい.                              

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