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2008年6月

松、そして萬葉集

     我が家に大きい松が3本ある.子供の幼稚園の遠足に家内が付き添って行った山で、10本ばかり小さい松を取ってきた.、其れに大王松を購入、また友人から貰ったりして増え、成長するにつれ狭い所ではどうにも成らなくなった.1本切り、2本切り、大王も切り、結局3本になってしまった.其れから何10年、見上げる程の大木になった

Img_0573_2  話が変わるが池を作った時、池の上に枝を張った大きい黒松を植えた.

数年後、庭師が寒中に剪定したのが、原因らしく枯れてしまった.そこで、此の跡に14~15年前に先述の3本の内の1本をクレーンを使って庭の真木として移植した。

 更に其の5年位後、玄関前を広げるに当たって、残りの1本を移植した.どちらも弱っていたが漸く最近元気に成ってきた.

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松は手入れの大変掛かるものである.早春の芽すぐり、春みどり摘み、秋から冬に掛けての古葉落し剪定仕立て等がある.何れも農作業の大変忙しい最中と重なる。

Img_0576_3 特にみどりみが最も大事であると私は思う.みどり摘みは早くやると、その後また伸びて、もう1回摘み直さなければ為らなくなり2度手間が掛かる.さらばと遅くすると茎が硬くなり、手では摘めなくなる.摘み終わるには松1本に4~6日も掛かる仕事である.摘み取りの出来ない枝も多く出来る

  松には赤松、黒松、ごようまつ(ひめ小松)、が主で、チョウセンゴヨウ、ハイマツ、園芸品種、外国産のダイオウマツなどがある.

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 仕立てには高砂、三才作り、直幹、門かぶり、なげし、かむろ仕立て等ある.我が家の赤松は、庭師の手が入らず、私の自己流仕立てで、いい加減なものである.従って写真の下の説明文も私が勝手に付けたもので、此の様に仕立てたいとの願望を込めたものでもある.玄関脇の松などは殆んど手入れ無し.直幹仕立てどころか、自然野生仕立てもいいとこである.

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 松は縁起木で飛鳥、奈良、平安の時代より庭木の王様として植えられてきた. 例を挙げればきりが無い、”正月の門松”から始まり生活、歴史、文学その他あらゆる面で日本人は松とは関わりが深いのである.   詩歌、俳句、謡曲、民謡、その他に豊富に歌われている. 

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 わが国で最古の歌集、萬葉集には松の歌が71首ある.中でも最も有名なのが有間皇子(ありまのみこ)の歌であると言われている.  此れを岩波版の日本古典文学大系の萬葉集を参考にして調べた.          第1巻の挽歌の冒頭に 【有間皇子、自傷結松枝歌二首】として、其の一つに【磐白乃 濱松之枝乎 引結 眞幸有者 亦還見武】がある.           判りやすい現代訳によると 【有間皇子、自ら傷みて松ヶ枝を結ぶ歌二首】として、【磐代(いはしろ)の浜松が枝を引き結び、真幸(まさき)くあらばまた還り見む】である.             磐代は和歌山県日高郡岩代村(現、みなべ町、南高梅の原産地としても知られている所である) 、 歌の大意は、「磐代の浜松の枝を今引き結んで幸を祈るのだが、若し命があった時には再び還って此れを見よう.」である.     有間皇子は斉明天皇4年(658)、蘇我赤兄に唆され反逆、捕らえられ、再び、其の松枝を見ることなく11月11日絞首された.時に年19歳であった.  此の詩の後に長忌寸意吉麿(ながのいみきまろ)の”結び松を見て、哀しび咽ぶ歌二首”が有るので、其の中の一首を現代訳詩で参考に記す.【磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも】尚、山上臣憶良も”追ひて和(こた)ふる歌一首”を作り皇子を悼んでいる.

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